2013年08月06日

フランス便り 第二集 第40便 スト騒ぎ

設定
外国留学記 フランス便り 第二集

   スト騒ぎ(1972年5月8日 朝刊5面掲載)

 パリ、エコール デ ボーザール(仏国立美術大学)の研究室で作品製作に携わって後の午後六時、相変わらず鉛色の空に少々憂鬱な気分を抱えながらセーヌ川に面した裏門をくぐろうと仕掛けたとたん、ザブリ!いきなり頭から冷たい水を浴びせられました。驚いて見上げると校舎の屋根に数人の学生がバケツを抱えて立っています。見るとヘラヘラ笑っているようなのでムラムラと腹が立ち、一体何の恨みがあってこの寒いのに水なんか!…!大声でまくしたてたいと思ったのにカッとなると日本語でさえうまく出てこない所、まして仏語では思うように行きません。濡れ鼠のみっともない格好で頭から湯気のたつほど腹を立てながらその日は帰ったのでしたが、後で聞いたらそれがスト騒ぎの始めなのでした。
 翌日から芸大(エコール・デ・ボーザール)の周辺は警官隊が出動し、何だか穏やかではなくなりました。学内の無数の彫像類、壁、果ては屋根までサイケデリックな色彩にベタベタ塗られ、正門のニコラ・プッサンとピエール・ピユースの立派な胸像も奇妙な色彩に塗り替えられ、何とも異様な感じです。
走行中の車に絵の具や溶かした石膏をぶっかけたり、男性ヌードの団体で道行く人々をあっと言わせたり、いかにも芸大の学生らしい示威運動でしばらくはマスコミを賑わす事件となりました。ことの発端は仏有数の国産ルノー自動車工場内で起こった殺人事件にあるのだと友人が説明してくれました。仏では最も大きな自動車メーカーのひとつとされるルノー社は労働組合の強さでも有名らしいのですが、そこで共産党系の幹部が何者かによって殺害され、それに抗議する集会が開かれた際に警官隊と揉み合って数十人が逮捕、うち芸大の学生も数人混ざって居たとのこと。彼らの釈放要求が主だとのことですが、騒ぎはパリ大学の他の学部にも波及し、二週間ほどは物々しい警備装車が学生区の各所に出没、第二の五月革命になるか…と噂されたのです。…が、十日ほどの芸大閉鎖の後は表面的には元通りに返ったように見えます。
 フランスの大学制度はナポレオン一世の時代に再編成されたもの…従って中央集権的性格が濃い…をほとんど変更もせずに使用してきたところから、現在では恐ろしいほどの問題を抱えており、ドゴールを退陣にまで追い込んだ五月革命(一九六八年)が尾を引いてまだまだこれからも火のつく危険性があるのだということです。
posted by タカコ at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月21日

フランス便り 第二集 (第39便)レストリュの話

外国留学記 フランス便り第二集

   レストリュの話(1972年1月)

 ガシャン!ガラガラドサン!ガヤガヤドヤドヤ…大変に騒々しい物音の中を十分ばかり行列に入って並ぶと、最初に突き当たるのがプラトー(お盆)の山、そうしてナイフとフォークの山…ひとつひとつ取って行くと、先ずオールドウーブル(前菜)が手にしたお盆の中へ飛び込んでくる。
次に魚、メインの肉料理、パン切れ、チーズ、デザート用の果物やお菓子が加わる。自分で選ぶのではなく分配担当のムッシュウやマダムが所定の位置に投げ入れてくれるのだ。ここでもベルトコンベアに乗せられた工場のよう…。適当な席を見つけて腰を下ろすとやっと食事というわけ。
 これはパリ名物(?)の一つレストラン・ユニベルシテール(大学食堂・学生語では略してレストリュ)。決して贅沢ではないけれども栄養補給にはまあ十分な食事が一フラン八五サンチーム(約三五セント)で取れます。市価では最低限十フラン(二ドル)はないと食事はできないのですからこれがどんなに安くついているか想像がつくというものです。
 大学食堂は至る所にあり、パリ市内だけでも約六十カ所に在ってクルス(C.R.O.U.S = Centre Re'gional Des Couvres Universitairs et Scolaires の略)のカードとチケットがあれば殆ど何処のレストランでも利用できるという便利なシステムです。
これは政府の援助による学生向けのサービス機関として存在するのですが、学生人口八十万近くという巨大な大学組織を持つ仏文教政治の特色の一つとも言えるでしょうか。聞くところによるとドイツにはこういう機関は存在しないということでしたから、ヨーロッパの各地からパリへ学生が押し掛けるのもひとつには経済的理由があるのかもしれません。
大学生用レストラン以外にも汽車や地下鉄等公共交通機関の割引は勿論、美術館や博物館、国立図書館、果ては劇場用のフリーパスあり、経済的な学生寮あり、月二百ドル以上の給付のある奨学金制度あり、アルバイトをせずともその気が有れば十分に勉強出来る環境が整備されているとか…。
そのせいか学生アルバイトは一応禁じられているようでしたが、自治組織によるアルバイトの斡旋もあり、学生センターへ行けば借家の紹介もあり、至れり尽くせりの感がします。若者に期待する政治姿勢が伺えます。
 レストリュはその場所により特色があって…貴族の子弟が主に利用するような高級感あふれる場所や軍隊用だったのでは?と想像させる場所やアフリカ系学生の多い場所などさまざまです。チケットがあれば利用出来るのですから高級レストランへ行きそうなものだとつい思ってしまいますが軍隊風レストリュが一番繁盛しているように見えました。メニューにも因るのでしょうか。
 レストランの中は実に若さと活気に満ちていて黙って眺めているだけでも楽しいです。たまに混んでいる所では食事中の他人のテーブルの上を靴のままヒョイと歩いて渡ったりする失敬な輩(やから)が居てギョッとするのですが…、誰も文句をつけるでもなし…せっせと食らい、おしゃべりに余念がない。少々大雑把だけれども、こだわりのない自由な雰囲気に満ちています。
posted by タカコ at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

烏骨鶏物語 第六話 サヨナラ…雌鳥のケイちゃん



烏骨鶏物語 第六話

  さようなら…可愛い優しいめんどりのケイちゃん!


 コーちゃんが居なくなってから数ヶ月が過ぎました。
台風の季節は去り、涼しい秋風の中…ウーちゃんのテノールが響き渡ります。   

  エーサークレー !

ご隠居ウーちゃんは何故か若返り、アメジスト色のとさかは赤味が増して
お花のよう…喧嘩に負けてボロボロだった鶏冠(とさか)が復元されて
前より 一層美しいです。
羽はツヤツヤで尾羽も伸び、白さも増して老年期とは見えません。

一方、ケイちゃんは何だか元気がありません。
いつもは真っ直ぐにキッと物を見据える大きな目が伏し目がちになり、項垂れて
ひとりうつらうつらしています。
貴婦人のような真っ白なおしゃれな花帽子のような鶏冠が黄みがかっています。
     *

お水屋さんの配達員のお兄さんが尋ねました。

 烏骨鶏ですか? 卵産みます?

 いいえ、まだ一度も産むのを見ていません。
 家に来てから…かれこれ4〜5年になりますけど…。

おばさんが残念そうに言いました。

     *

生協の配達員のお兄さんも言いました。

 烏骨鶏可愛いなア…白い帽子の子、可愛いですねえ。

 それは、めんどりのケイちゃんです。
 烏骨鶏三羽迷い込んで来たので…ウーちゃん、コーちゃん、
 ケイちゃんと呼んでいたのですけど…。
 夏の台風の後一羽…『コーちゃん』が逝ってしまって…。
 ウー、ケイちゃんだけになって寂しいです。

タカコおばさんが言いました。

 ケイちゃんも最近元気ないので心配です。
 この冬が越せるかどうか…かもしれない…可哀相に。
 
 年寄り猫の野良猫ボスも去った冬から姿を消しているし…
 小動物って命短いですねえ。
 可愛がって居ると別れが辛いものですね。

     *

動物病院の出張診察日に犬のノン太とコーニーを診て頂いたあとで
ケイちゃんの件も相談してみました。

 烏骨鶏が元気ないのです。診て頂けませんか?

 エ?鶏は診たことがなくて…残念ですが専門外ですね。

看護師さんが言いました。

     *

十月の下旬から冷たい時雨が続くようになりました。
湿気と寒さがこたえたのか…ケイちゃんはますます元気がなくなり、
羽の色がくすみ、可愛い白い帽子が茶褐色の埃まみれになったまま…。
えさを食べるのを忘れがちになり、うなだれてうつらうつらしています。

ウーちゃんが励ますように大きな声で歌いますが反応はありません。

 可哀相なコーチャン! あたしがついてて上げれば良かった…。

見ているとそんなケイちゃんの心の声が聞こえて来るようでした。

     *

十一月四日の朝、ケイちゃんは地面の上に倒れたままになっていました。
おばさんは、乾いたタオルにカイロをふたつ貼ってケイちゃんにかけて
やりました。小さな足が余りに寒そうに見えたものですから…。

そうしてその夜、ケイちゃんも天国へ旅立って往きました。


     *   *


悲しまないで! ウーちゃん!
ケイちゃんもコーチャンも今頃は天国で仲良くえさをついばんでいる
ことでしょう。
ウーちゃんの歌はきっと聞こえていますよ。
コーちゃんも歌っていることでしょう。
ほら、聞こえる…

 ゴーキゲンヨー
 ゴキゲンヨー !
posted by タカコ at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月26日

烏骨鶏物語 第五話 ゴキゲンヨー コーちゃん

烏骨鶏物語 第五話

   ゴキゲンヨウ コーちゃん…!

 あれから…もう何ヶ月過ぎたでしょう。
あの威勢の良い声で毎朝「ゴーキゲンヨー!」と呼ばわったコーちゃん。
背の高い若旦那のコーちゃんが先に逝ってしまうなんて誰も予想しなかったのです。去った夏は台風の直撃に何度もさらされて…鶏小屋は吹き飛ばされは免れたものの…水浸しでひどい状態、虫の異常発生とネズミ達に悩まされる日々が続きました。そんな中でコーちゃんは誰かを励ますように
元気な声で呼ばわりました。

   ゴーキゲンヨー!

   ゴーキゲンヨー!

遠くから低いだみ声で声を振り絞るように鳴き交わすものが居ました。
ウーちゃんの声はテノール、コーちゃんはバリトン…だとすると
遠くの声はバスよりもっと低いです。

  ドウードウルル ルー

息も絶え絶えに聞こえるそのバースくんを励ますようにコーちゃんは
「ゴキゲンヨウ!」と何度も叫びました。

     *

何度目かの台風の後の晴天時に見ると…おや?どうしたのでしょう。
コーちゃんの羽が泥だらけのまま回復していません。
ウーちゃんとケイちゃんの羽は真っ白なつやつやの羽に戻っているのに
一番元気なはずのコーちゃんが汚れたまま…くちばしも灰色で…
ゴキゲンヨウも言わなくなりました。
たまりかねた「ご隠居のウーちゃん」が代わりに叫び声を上げます。

  エサク〜レ〜…

  エーサークーレー !

あらら!ウーちゃんは何故か若返ったようになりました。
美しいテノールでセレナーデを歌うように切ない感情移入さえ感じさせるほどに上手です。遠くのバースくんのドウルル…に耳を澄ませては

  エーサークーレーエエ!

との叫び声…。おばさんは「餌やったでしょう?」と言いつつ鶏小屋を覗き込みますが歌は歌なのでしょう。お構いなしにウーちゃんは歌い続けます。
  エーサーク〜〜レエー!

一方、コーちゃんは黙りこくったまま青ざめて…どうしたのでしょう?


     *

 そのうち、コーちゃんは餌箱の上に乗っかったまま…ぼーっとして食べることを忘れがちになりました。くちばしには土が付着したまま…。
羽がしぼんで地肌が見えるようで気になり、おばさんは蚊取り線香を鶏小屋に置くようになりました。 
それまでウーちゃんに付き添ってばかりだったケイちゃんがコーちゃんの
後ろを心配そうにウロウロ歩くようになりました。

何度目かの台風の去った朝、ウーちゃんは濡れた地面の上に倒れたままになっていました。見ると、くちばしが時々開いて呼吸をしているようなので…乾いたタオルを敷いてやって回復するのを待ちました。

     *

ウーちゃんは遠くのバスくんと鳴き交わしています。

 ドウルルル…

 エーサークレー!

ケイちゃんはうな垂れています。

おばさんは涙ぐんでいます。


     *   *


そうして…そのままコーちゃんは天国へ旅立ってしまいました。
posted by タカコ at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月06日

ノアはベジタリアン?


猫物語第 二十二 話

   ノアはベジタリアン?

「犬猫の食べる草」という表示のついた鉢植えを見てタカコおばさんは、それを買ってみることにしました。
野菜の苗と一緒に屋上の小さな畑に植えてみると最初にその草に興味を示したのは猫のノアでした。クンクン匂いを嗅いでみて…次に顔を押し付けて撫で撫でしてみて…それからお口を開けてその草を頬ばりました。草の先端が少し千切れてノアのお口の中へ入りました。余程気に入ったのでしょう。ノアは夢中になってその草と遊んでいます。母猫のエリちゃんやシャラクやドアラもやってきましたが目立つほどの興味は示しません。
個体差があるのでしょうかね。
ノアは屋上に来ると必ずその草を食べます。先端部分は半分以上千切れてしまっています。「ノアはベジタリアン猫なの?」

     *

チャチャも屋上に来ますがその草を食べたかどうか…おばさんはその現場を目撃していません。チャチャは食欲旺盛な猫だし
ガールハントも大好き…小夜曲も上手に歌えるようになりました。喧嘩の合間にノアやボスから発声法を習っていたらしい。
猫って面白いですね。「犬猫の食べる草」もノアの居ない隙に
ちゃっかり味見しているかも…!

     *

梅雨が上がって真夏の太陽が照りつけるようになりました。
ノアの大好きな草は暑さに弱いのか…小さく縮んで枯れてしまいました。ベジタリアン猫のノアもちょっと残念そう。
お店にはまだあるかしら?
外出のついでに見てみようかな?とおばさんは考えています。
posted by タカコ at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月17日

第38便 年越しパーティ


タカコおばさんの昔々の…フランスだより

     第38便(1972年3月24日)

   年越し

 マダム・ラ・ディレクトリス Madame la Directrice(館長さん)
の部屋の近く、廊下の奥の所に灰色に塗られたドアが在って…、
それを開けると地下室へ通じる階段があります。
薄暗い裸電球に照らされた古い石段を降りて行くと小説の材料に
成りそうな道具建ての小さな地下室が在って…ハモンドオルガンが
ひっそりと置かれて居ます。
毎週金曜日の夜にはアマチュアの音楽家達が集まって演奏や談話や
シガレットやアルコールを楽しみながら夜を明かす所なのだそうな…。
それは会員制に成って居て少し高級な…つまり テュトワイエ Tutoyer 
(キミ、ボク、アタシ)で話す人々ではなく…ハイソサエティhigh society
(上流社交界)のヴー Vous (貴殿、貴女)で話すメンバーで構成されて
居り、所謂パリの良き時代 la Belle Epoque の名残りを留める人々の
グループのようです。
 大晦日の晩にノルマンディから帰ったばかりの西原さんとドイツ旅行
から帰ったばかりの私は何だか良く訳の分からないまま…
ディレクトリスに渡された招待券を持って秘密めいた灰色の扉を開け、
怪し気な古い石段を降りて行くと…人々の騒めきが聞こえ…何とそれは
其の上流社交界の年越しパーティで…どうやら二人はホワイエ代表だった
のらしい。余りに突然な出来事だったので其処は初めのうちはとても
奇妙な不思議な場所の様に見えました。異次元空間に迷い込んだ…
「不思議の国のアリス」のような気分…。
 凝った身なりの紳士や淑女が挨拶の接吻や握手を交わしているかと
思うと、その傍らには御馳走の山に夢中の御老人たちが居られ…
目まぐるしくワインやビールやスコッチを注いで呉れる紳士が居たり…。
つい先程挨拶のスピーチを述べて居た主催者と覚しき Monsieur (紳士)が
真ン中で立ったまま札束の勘定をして居る。天使のように可愛らしい
小さな女の子がやって来てツンツンと私達の袖をつつき…
「もう直ぐアタシの誕生日なのヨ」と王冠の形の大きなケーキを指差して
見せる。年越しパーティと誕生日のパーティがごったに成って居るらしい。
こんなに多勢の人間がディレクトリスの廊下を通る訳は無いので、多分、
出入り口は他にも在るのでしょう。秘密の地下室はノートルダム寺院や
ルーブル宮殿にもつながって居るかもしれない(!?)と「アリス達」は
想像をたくましくしたことでした。
 好きなように演奏し、踊り、飲み、喰い、お喋りに花を咲かす…
此処にも一見無秩序に見えかねない自由な雰囲気が有りましたが、
居合わせる誰もが幸せそうに時空を満喫して居る…此の事こそが
何より重要なのだと感じられた事でした。戸惑っている二人の
「不思議の国のアリス達」が遠い日本からの珍しい客人だと言うので
ひっぱりだこの人気となり、西原さんの流暢なフランス語は周りに
人だかりが出来るほど会話がはずみました。日本について一種の
ロマンチックな夢を抱いている人々も多いようです。
 さて、真夜中…一瞬、全ての灯が消され会場は真っ暗になりました。
ノートルダム寺院の鐘の音が十二時を告げ終わると再び灯がともされ
皆、一斉にボンナネ Bonne Annee ! (新年おめでとう!)のアンブラス
Embrasser (接吻)です。此の時ばかりは老若男女、知人友人を問わず
誰にでもキスして良いのだそうです。
シャンペンのコルクが抜かれ、風船が飛び…会場は楽し気に踊る人々で
いっぱいに成りました。
 酔いの覚めきらないまま外へ出ると…世界は一九七二年の元旦に
成って居りました。
posted by タカコ at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

第37便 ハンブルグ市内見学


タカコおばさんの昔々の…フランス(ドイツ)だより

   第37便(1972年3月20日)

  ハンブルグ市内見学

 ハンブルグは日本で言えば丁度大阪に当たると知人に説明されて
そう想像して居たら…予想外にモダンで町並みも整然として居り、
エレガントな感じさえする大都市でした。都市の中央部にある
湖には何十艘ものカラフルな豪華なヨットが繋留されて有り
富裕層の多い事を想像させます。エルベ河を水源とする豊かな湖…
大小二つのアルスター(Alster)は間に橋を挟んで横たわり、
白鳥の群れを浮かべ…夜には街のネオンを映して美しい。
大都市の中心部に在っても夏にはそこで市民が水泳を楽しめる程
水が綺麗だと言うのがハンブルグ市民の自慢の種なのだとか…。
大阪の道頓堀や那覇市のガーブ川を思うと其の差は歴然…パリ市の
中心部を流れるセーヌ河も水道水に利用されて居ると聞きましたが
汚水浄化の技術は先進国と呼ばれるだけにドイツもフランスも
最先端を行っているのでしょう。
 ところで…パリ市はセーヌ河の中洲、シテ島をパリ一区として
螺旋状に発展し、区の数字の桁数の多いのが後に出来た新しい区
なのだそうで実に分かり易い都市構造に成って居ます。其の全容が
ほぼ円形に仕上がって居るパリ市の其の郊外には中心部からおよそ
等間隔の位置にゴミ処理施設が設置され、塵やゴミを焼却する際に
発生する熱を熱湯に替えて中心部に送り込みビル群のセントラル
匕ーティングや市民のシャワー水等に利用されて居ると聞きました。
水道水と同様に其の熱湯を市民は市から買う訳で…ホワイエのあの
館長さんの口癖「Il faut ekonomiser !(節約)!」の意も「成る程」
と、理解出来ると言うものです。
此の汚水浄化やゴミ処理の方法は合理性を優先する知性から生れる
素晴らしいシステムだと納得が往きます。
 何処を拝見してもその最先端を行くような構造に感激した私が
余りに「モダンだ、モダンだ。」を連発するので…案内係の
ヴィゼ氏は少々気を悪くしてしまい…「そりゃ、パリの方が
しっとりして居て良いだろうともサ。ドイツはね第二次世界大戦で
壊滅的にやられたからなんだ。古典的な美しい建造物は残らず
破壊されてしまったんだ。」と言う。私はそう言うつもりでモダン
と言ったのでは無い事を慌てて説明する破目に成りました。
それにしても戦争は何て愚かなのでしょう。夫々の時代時代に
生真面目に生きた善男善女の心血を注いで造り上げた美しい文化
遺産を後世に伝える事なく根刮ぎ破壊してしまう…。今のベトナムや
沖縄の置かれている不安定で不自然な状況を思う時、「人間の叡知」   
はどのように働かされるべきなのかを考えずには居られません。
 戦後の復興事業の中で道路は歩道と自転車用道路も整備され、本格的な
車社会に対応する道幅の広い車道やアウトバーンと呼ばれる制限速度なし
の高速道路など世界に先懸けて未来社会を予想させる都市の構築に力を
注いで居るように見受けられました。時差通勤制度も導入されて居るので
ラッシュアワーもそれ程込まないのだそうです。此の様に記述して来ると
自然は如何なのだろう…と疑問を覚えずには居られなくなるかも知れ
ませんが…シュバルツバルト(黒い森)を誇るドイツ…至る所に美しい
自然が見られ鳥類の多い事にも驚かされます。カモメの群れ飛ぶ巨大な
ハーバーはハンブルグ髄一の名所というだけに其の壮大で活力に溢れる
眺めには圧倒されました。
 エルベ河の岸辺に降りると…映画ヒッチコックの「鳥」で観たような
カモメ、カモメ、鴨、鴨、白鳥だらけで足の踏み場も無い程でした。
人間を怖がる様子もなく…私の傍に寄って来るオオハクチョウは何と
私の背丈程も有り、御尻をフリフリゆったりと歩く様はユーモラスで
優雅で…何とも可愛らしかった事でした。
 ヴィゼ家の広い裏庭は池と樹木に囲まれた公園に面して有り、野生の
美しい雉や可愛い野ウサギが時々迷い込んで来ます。
ヴィゼ氏は幼少の頃、其の公園の大きな池で手製の筏を浮かべて遊んだ
のだそうです。私が案内された時には色鮮やかな美しいオシドリの群れが
池を泳ぎ回って居たのが印象に残りました。
 さて、お次は美術館見学…そう言えば、ハンブルグ駅の通りの近くに
仏現代彫刻の先駆マイヨールの作品(堕天使?)が街を飾って居たのが
印象に有りましたが…ルーブル美術館の庭にもマイヨールの作品が数点
展示されて居ましたっけ…現代彫刻なのに古代彫刻のような大らかさが
観る人を癒して呉れて居るようでした。
 ハンブルグではクリスマスシーズンと言う事も有ってか…豪華な
毛皮のコートを着た人々が多く、美術館の入り口を入るとコートを
預ける事を余儀なくされました。パリではその習慣はなかったので…
少し驚きましたが、館内は暖房が効いて暑い程でしたから預けた方が
良かったのでしょう。レストランにもコートを懸ける場所が必ず有る
のが印象的でしたし、ヴィゼ家住宅の玄関も二重扉に成って居て
内と外を仕切る玄間部屋空間の有る事が南国育ちの私には
寒い北欧の生活習慣として物珍しく感じられたものです。
美術館の収蔵コレクションは素晴らしく…特にドイツの作家の作品の
精緻な仕事ぶりは飽く無き探求を目指す科学者か若しくは職人技の
極地の様で溜め息を憑いてしまう程厳しいお国柄なのだなア…と
感じた事でした。
 南仏セギュレのアトリエのディレクター・ラングレ氏がハンブルグで
作品展を開催する予定らしいと言う件はヴィゼ氏から聞いて居ましたが
どうやら其れが実現したらしく…アインスビュッテルEinsbuttel に在る
ハンブルグハウスHamburg Haus でアトリエ・ド・セギュレ展が開催
されて居ました。作品数は二百点…油絵、版画等二十カ国余りの
アーチスト達の作品が並び、展示期間は一ヶ月間にわたる予想外に
盛大な展覧会と成って居ました。思いがけず巡り会った自分の作品を
前にして嬉しさと気恥ずかしさと共に…ドイツの美術愛好家に作品を
観て頂ける幸運に感謝し、エコール・デ・ボーザールに合格した幸運と
合わせ、白鳥の様に大空を舞う夢を実現すべく頑張ろう!と心に誓った
事でした。
posted by タカコ at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月03日

第36便 ドイツのクリスマス


タカコおばさんの昔々の…フランス(ドイツ)だより

   第36便(1972年2月25日)

  クリスマス

 「今、子供達がツリーを飾って呉れてる所ヨ…」電話を掛けて居る
ヴィゼ夫人の声を聞きながら…私達は思わず顔を見合わせて笑いました。
良い大人のつもりで居るヴィゼ氏も私も彼女に会うとすっかり子供扱い
です。クリスマス・イブに特別休暇を貰った彼とモミの木を飾り、
チョコレートを噛ったり、子供の様にはしゃいだりしながら…
夜になるのを待ちました。ブレーメンの放送局で仕事をしていると言う
お姉さんのフロイライン・ヘッダさんが自家用車で駆け着けると
やっとクリスマスに成りました。ヘッダさんは非の打ち所の無い
美しい方で…余程仲の良い姉弟なのでしょう…会うなり歓声を上げ、
ヴィゼ氏がお姉さんを抱き上げて舞台のバレリーナの様にグルグル
回転し、部屋の中は朗らかな笑い声で一杯に成りました。
後に聞いた話ではヘッダさんの婚約者の方は其の日は来られないとの事
でしたが…訪問の際は家中の壊れた箇所を全部修理して下さったり
すると言う話で…人柄を想像するときっと素敵な方に違いないと
思ったことでした。
 ドイツではイブの日にはカルフェンと言う魚を御馳走の一つに加える
習慣が有るのだそうです。オーブンに入れる前に見せて戴いた所、
大きさは四十五センチ程、重さが四ポンド半と言う割合に大きな灰色の
河魚で…鯉か鱒の様でした。丁度日本で大晦日に年越し蕎麦を食べる
様なものなのでしょう。カルフェンはメルティ匕と言うワサビに似た
香辛料を溶かし込んだ生クリームをのせて戴くのですが…鰻に似て
蕩けるように軟らかく濃い味のカルフェンの熱々の肉に白い生クリームが
が溶けて絶品!一口試して思わず「オイシイ!」と素っ頓狂な声を上げて
しまい、皆で大笑いしました。料理を気に入ったと言うので…
ヴィゼ夫人は大喜びで台所からわざわざメルティ匕を持って来て見せて
下さったり…ひとしきり料理の方法を講義して下さったり…。
他には、鹿の肉にジャム(此れはヴィゼ氏の好みなので)とか焼きりんご
と組み合わせた料理も有り、婦人手製の豚肉のパテ、飛び魚に似た
魚と玉葱の酢漬け、可愛い芽キャベツ料理などなど…美味しい
クリスマスの御馳走を堪能させて戴きました。
ヴィゼ氏はハンティング(狩猟)の趣味も御持ちだそうで、鹿肉の
料理を生れて初めて経験する私には別世界の次元でした。
 夕食の後は居間にて…此れもお母様ご自慢の御手製の大きな
チョコレートケーキを囲み、コーヒーと共に戴きながら雑談したり、
音楽を聞いたり、プレゼントの交換をしたりしました。
包みが開かれる度に歓声、そうして御礼のキッス…何とも朗らかで
温かな…幸せ家族です。朝寝坊のヴィゼ氏には大きな目覚まし時計、
お母様へはゆったりとバスタイムを楽しめる様にと風呂用の枕…
と言う具合で、私も本や高価なリトグラフ作品の他に化粧品やら
クルミやナッツをどっさり戴いて…ふと、幼い頃のサンタクロースを
信じて居たクリスマスを思い出したことでした。
posted by タカコ at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月02日

第35便 ハンブルグにて


タカコおばさんの昔々のフランス(ドイツ)だより

   第三十五便(1972年2月11日)

  ハンブルグにて

 なけなしのお小遣いをはたいて買ったフード付きの毛織りの
マキシコートでも思わず寒さを感じてしまう程冷たい風が
水面から岸辺へ向かって吹きつけます。
枯れた葦が腰を曲げ、いばらが赤いトゲをさらして灰色の空へ
突き刺さる様にして土手の斜面に生えて居ました。
「エルベ河… Elbe 嗚呼!此れがエルベ河…」私は何度も口の中で
繰り返し、ヴィゼ氏の止めるのを笑って背にしながら…どうしても
其の河の水に触りたくて石ころの間を下って行きました。
鉛色の水は味わった事の無い冷たさで直ぐに私の手指を真っ赤に
凍らせました。
 此処がハンブルグ…北極圏につながる北海に面するドイツの大都市
ハンブルグ…アンデルセンの国デンマーク迄はほんの百キロの位置に
有ります。
 南仏時代のお喋り仲間、写真家のヴィゼ氏の招待でクリスマスを
ドイツで過す事に決めて、フランスから遠出して来たのでした。
パリの北駅から汽車で十時間。朝の便に乗り込み、たったひとりで
ドイツのハンブルグへと向かいました。
窓外の景色は本当に北海道に良く似ていて…灰色に煙った広い広い
農場地帯を汽車は長時間走りました。フランスは農業国だと聞いた
事は有りましたが、窓外の景色に実感…豊かな国を根底で支えるのは
やはり農業なのかなアと思いました。…途中、雨の降っている農場で
自動散水装置が稼働しているのを見て思わず笑ったり、農場主は
旅行中なのかなと想像したり…飽かず見取れました。延々十時間。
東京に於ける学生時代から休暇中の帰省には片道三日を要した
経験があるので、十時間の距離は苦に成らなかったのですが、丁度
東京から広島程の距離なのに国境を越えると駅員さんからジュース
販売のおじさんまでフランス語からドイツ語に替わり、
制服もペールブルー(薄青)からダークグリーン(緑色)に替わる
のですから…ヨーロッパも少々へんてこりんな所だなア(失礼!)
と、思いました。午後四時にはもう薄暗くなり、外燈のきらめきを
横目で確かめながらうつらうつらして居るうちにハンブルグに
着きました。午後七時でした。
 迎えに来て呉れたヴィゼ氏と見覚えの有る古いボロの(失礼!)
ルノー車…南仏時代にはミレナさんやボーニン氏等と其のグレイ車の
穴の空いた所にハリエニシダやコクリコや…ありとあらゆる野の花を
挿し活けて、お祭りの山車(だし)の様に飾り立て、春の野山へ…
スケッチブック持参し、皆でドライブに出掛けたものです。
アーチストらしく車体に手塗りの黒の装飾模様もそのままです。
再会を喜び合いながら…モダンなビルの建ち並ぶ市内を通り抜け、
郊外の住宅地へ出ると、白樺の並木道に面して煉瓦造りの
洒落た家々が軒を連ねて居り、その中の一戸建て(三階建て)の
モダンな大きな家がヴィゼ氏の生家なのでした。
合図のクラクションを鳴らすと階段の上の大きな一枚ガラス張りの
部屋に灯がついて中に見事なランの花鉢や小さな噴水のあるのが
見え、大柄な女性が両手を広げながら出て来ました。
彼の母親のヴィゼ夫人でした。とてもこんな大きな息子が居るとは
思えない程若い…ブロンドに青い眼の美しい人でにこやかに笑みを
湛えて温かく迎えて下さいました。
 ふかふかの絨毯が敷き詰められ、美しい焼き物と絵と花で飾られた
暖かい部屋に招き入れられると思わずホーッと心の緩むような感じが
しました。

 余談に成りますが…ヴィゼ夫人は其の美しさから想像するのとは
対照的に…気さくでさっぱりとした気性の方で一緒に買物に行ったり
庭のキイチゴでデザートのジェリーを作って御馳走して下さったり
楽しい時間を過させて戴きました。ドイツ語の苦手な私が退屈しない
様に英語で話して居るのを聞いたヴィゼ氏が驚いて「お母さんが
英語を話せるなんて知らなかった!」と言い、皆で大笑いした事を
思い出します。
posted by タカコ at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月26日

第34便 エコール・デ・ボーザール Ecole des Beaux−Arts


タカコおばさんの昔々の…フランスだより

   第三十四便(1972年1月21日)

  エコール・デ・ボーザール Ecole des Beaux-Arts

 古い校舎の螺線階段をうねうねと登って行くと突き当たりの緑色の
ドアに 「フェルメ・ラポルト・シルヴプレ Fermez la porte S・V・P」
(どうぞドアを閉めて下さい)と張り紙が有る。其処が当分の間勉強を
させて戴く事になって居るデッサン教室…ギリ教授のアトリエです。
エコール・デ・ボーザール、正式には Ecole National superieur des
Beaux-Arts と言う長い名前のフランス国立高等美術学校(大学)。
入学試験に合格すると一年分の授業料として七十三フラン(一五ドル程)
を支払えば好きなアトリエで好きなだけ勉強が出来ると言う…まるで
嘘の様に恵まれて居る所です。年齢制限は有るのですが、国籍を問わない
ので其の門は広く世界の若者達に向けて開かれて居り、仏国内は勿論
ヨーロッパ各国、アメリカ、アジア、アフリカ等世界中から集まった
学生達で満たされて居ます。学内教育システムは日本本土の国立系大学
とは少々異なって居るようで…どちらかと言うと沖縄の大学(米国式}
に近いかなと言う感じがしました。
実技を伴う芸術科の中にはデッサン、油絵、彫刻、版画その他のアトリエ
が多数有り、各自の好きなアトリエと教授を自由に選べる様になって
居ます。但し、アトリエに入るには教授の許可を得なければ成りませんが
それが少しばかり問題です。各自の作品類を持参し説明(自己宣伝)し、
教授に見て戴いた後に許可を得ると言うものです。持参する作品類の質や
レベルは勿論、数も多ければ多い程良いと言うので、一アトリエの許可を
得るのに軽く一日は待たされる事を覚悟しなければ成りません。大抵
どの教授も持参した作品類は殆ど全部丁寧に見て呉れる…後にどれだけ
沢山の人間が待って居ようと…そんな事にはお構いなしに一人の人間に
実に時間を掛けて下さる…其処が又私達(せっかちな日本人)の習慣と
大分異なって居るようです。待つ側も別に文句を言う様子は無く、
時間切れになると翌日出直して来ると言う具合です。
一度断られた位で引き下がると負けで…何故其のアトリエにしたいかを
ひとしきり述べ、教授との問答を経て漸くOKを取るケースも有るとの事。
此の件は自治組織の先輩達が集会所に新入生を集め親切にアドバイスを
して呉れて居ました。アトリエに於ける制作風景は自由で…
教授が手取り足取りと導くのでは無く…学生の自由意志を尊重し、
質問の有る場合にのみ答えて下さるのですが…其の場合は充分な覚悟で
質問を準備しなければ成りません。何故なら教授側の知識の豊富さ
と来たら半端じゃ有りませんから小一時間は付き合わされてしまいます。

余談に成りますが…私が許可された版画教室には
主任教授 Monsieur COUTAUD (クトー先生)のほかに数人の教授が時々
見えられたのですが、教授達は夫々実に個性的で…中には貴族階級出身
なのでしょうか…二頭の美しい犬(狩猟用大型のポインター)を従えて
風の如くにさっそうと現れる教授も居られて…其の余りのカッコ良さに
驚かされたものです。座学(理論)の方は、広い階段教室で映像を
交えながらの講義を受けましたが…やんぬるかな…で此処でも
難解な学術用語にはお手上げ状態で有りました。
しかし、本音を申し上げれば…ホテル・リベリアの画家集団にも
アカデミー・デュ・フーのメンバーにもエコール・デ・ボーザールに
合格した事を羨しがられて…私は随分と良い気分だった事は確かです。
posted by タカコ at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。