設定外国留学記 フランス便り 第二集
スト騒ぎ(1972年5月8日 朝刊5面掲載)
パリ、エコール デ ボーザール(仏国立美術大学)の研究室で作品製作に携わって後の午後六時、相変わらず鉛色の空に少々憂鬱な気分を抱えながらセーヌ川に面した裏門をくぐろうと仕掛けたとたん、ザブリ!いきなり頭から冷たい水を浴びせられました。驚いて見上げると校舎の屋根に数人の学生がバケツを抱えて立っています。見るとヘラヘラ笑っているようなのでムラムラと腹が立ち、一体何の恨みがあってこの寒いのに水なんか!…!大声でまくしたてたいと思ったのにカッとなると日本語でさえうまく出てこない所、まして仏語では思うように行きません。濡れ鼠のみっともない格好で頭から湯気のたつほど腹を立てながらその日は帰ったのでしたが、後で聞いたらそれがスト騒ぎの始めなのでした。
翌日から芸大(エコール・デ・ボーザール)の周辺は警官隊が出動し、何だか穏やかではなくなりました。学内の無数の彫像類、壁、果ては屋根までサイケデリックな色彩にベタベタ塗られ、正門のニコラ・プッサンとピエール・ピユースの立派な胸像も奇妙な色彩に塗り替えられ、何とも異様な感じです。
走行中の車に絵の具や溶かした石膏をぶっかけたり、男性ヌードの団体で道行く人々をあっと言わせたり、いかにも芸大の学生らしい示威運動でしばらくはマスコミを賑わす事件となりました。ことの発端は仏有数の国産ルノー自動車工場内で起こった殺人事件にあるのだと友人が説明してくれました。仏では最も大きな自動車メーカーのひとつとされるルノー社は労働組合の強さでも有名らしいのですが、そこで共産党系の幹部が何者かによって殺害され、それに抗議する集会が開かれた際に警官隊と揉み合って数十人が逮捕、うち芸大の学生も数人混ざって居たとのこと。彼らの釈放要求が主だとのことですが、騒ぎはパリ大学の他の学部にも波及し、二週間ほどは物々しい警備装車が学生区の各所に出没、第二の五月革命になるか…と噂されたのです。…が、十日ほどの芸大閉鎖の後は表面的には元通りに返ったように見えます。
フランスの大学制度はナポレオン一世の時代に再編成されたもの…従って中央集権的性格が濃い…をほとんど変更もせずに使用してきたところから、現在では恐ろしいほどの問題を抱えており、ドゴールを退陣にまで追い込んだ五月革命(一九六八年)が尾を引いてまだまだこれからも火のつく危険性があるのだということです。

